男の人生において最も重要なものは何であろうか?
金であろうか?与えられた名誉であろうか?
そういうものの見方もあるかもしれない。
しかしながら我々男にとってもっとも重要なものはそれ以外に存在する。
それは・・・「自らの人生に対する自負」である。
ではその自負とやらはいったいどうやって手にすればよいのであろうか?
人生の対する自負はその人生から引き出すほか無い。ところがそれが想像を絶するほどに難しいのである。
というのも対外の人は年を重ねるほどに知っていしまうのだ「自分はたいした人間ではない」いうことを。特別に何かができるわけでもなく、誰かに感謝されるわけでもなく、毎日をただただ生きているだけ。
そんな男というものが自分の人生への自負を持つことがすればその源泉はやはり家族以外にありえないと私はおもうのだ。
人の幸せを定義することは難しい。なぜなら人は多くの人に支えながら、そして多くの人を支えながら生きているために自分の幸せの定義の中に相手の幸せが入り込んでくる入れ子状態になる。したがって本質的に定義不能なのだ。
たとえば男の幸せとは何だろう
勇ましく仕事ができればよいかもしれないし金があればよいかもしれないが、男はそれほど小さな生物ではない。男は誰かを幸せにしたいのだ。
ところが先述したとおり特筆して何かができるわけではない。当然働くという経済活動において会ったこともない多くの人の幸せに貢献しているのは事実であろうが、「実感」が無いのだ。
やはり、男の幸せとは自分の家族の幸せに他ならないのだ
そして自分の家族を幸せにしているという実感が自分の幸せを生み、人生への自負へと繋がっていく。
このような観点からみるとき、野原ひろしはものすごくカッコいいやつに見えてくる。
彼はしんのすけに靴の臭いをかがされて正気に戻る際に自分の人生を走馬灯のように回顧するが、その人生たるや平凡そのもの。しかしそんな平凡な人生の中にあって今の彼には妻がいて、子供がいる。
そしてその妻と子供は笑っているのだ。
家族のあのような笑顔を見せ付けられたら対外の男は言葉につまりなにやら敗北感さえ覚えてしまうことだろう。
それほど自分の家族を幸せにしているということは男にとって重要な意味を持つ事柄である。
そしてそんな幸せと自負を併せ持つ彼の口から「おれの人生はつまらなくなんかない。家族がいる幸せをあんたたちにも分けてあげたいくらいだぜ!」という言葉出てくるのはまったくの必然。
21世紀を生きる男野原ひろしにあの言葉を吐かれた時点でイエスタデイ・ワンスモアは負けていた。
いやいや野原一家を敵に回した瞬間に負けていたのだ。
基本的に「オトナ帝国の逆襲」の主人公はしんのすけだが、裏の主人公はどう考えても野原ひろしである。
私が野原ひろしの歳になったときに、果たしてあのセリフを吐くことができるだろうか?
自信は無いが、野原ひろしは男の生きるべき道を指し示してくれたのだ。
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