「不満のある生徒を確認したいき、今ここで挙手をするように」
ざわめく生徒たちの目線の先には手を挙げている松野の姿があった。
私はこのシーンである違和感を感じていました。なんのことはなく「松野が左手を挙げていた」ということです。
世の中には右利きの人もいれば当然左利きの人もいます、中には両利きの人だっているわけです。したがって、松野が左利きであること自体は本来何の問題もありません。しかし、自分が右利きであったせいか挙げた手が左手であったことがどうも気になったんです。
実際のところ、松野が左利きであることだけであれば何も書くことはありません。それよりなら「武藤はいつから杜崎のことが好きだったのか」とか「杜崎はどこの大学に行ったのか」とか考えるべきことはいくらでもあります。
しかしながら、あるシーンが私に「松野が左利き」であるこことを強烈に印象付けたのです。
中学の全校集会のシーンから随分進んで、高校最後の文化祭での話です。
文化祭の最終日に武藤はクラスの女子に詰められてしまいます。杜崎はそれを見てみぬふりをしてしまうわけですが、それを知った武藤に「右ほほ」を平手で殴られます。少々過剰な反応のようにも思われますが、武藤にとって杜崎はすでに特別な存在になっていたということでしょう。
そして杜崎の悲劇はまだ続きます。
今度はこの話を知った親友松野に「左ほほ」をグーで殴られます。後に杜崎を殴ってしまったことの裏にはなかなかに青春を感じさせる理由があることを知りますが、この瞬間は結構衝撃的だったでしょう。
さて、わざわざ鍵カッコで強調したのでわかると思いますが、杜崎は武藤と松野からただ殴られたのではなくあわせて「両ほほ」を殴られています。
もしも松野が右利きだったら・・・
当然杜崎は右ほほを二度殴られることになります。そちらのほうが痛々しさは増しますが、「両ほほ」を殴られるのに比べてボロボロ感は減ってしまいます。
「両ほほ」を殴られるということは、一見すると「右ほほ」を殴られることとあまり変わりはありません。しかしながら、あのシーンで左右二つの方向から杜崎が攻められることで、その後の孤独感が増すわけです。表現するのが難しいですが、ひとつの方向に人が去っていくのではなく、自分を中心に潮が引くように人が去っていく感じです。
この感覚は松野が右利きだったとしたらありえなかったことです。キャラクターの設定ってうまく作っているものですね。
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