VS ンドゥール

色々と漫画やアニメを見ているとお気に入りの作品ができます。そして、そのお気に入りの作品のなかにも、さらにお気に入りの話ができます。私にとってのジョジョの奇妙な冒険第三部のお気に入りの話が、題名にあるとおり『ンドゥール』との対決の話です。

どこが?と聞かれてしまうと返答に困ってしまいますが、承太郎たちがエジプトで最初に戦った相手でもありますし、勝負を決するシーンのスピード感と静けさがなんともいえなく好きなのです。

そしてもうひとつ、対ンドゥール戦では他の敵との戦いとははっきり違う点があります。言うまでもありませんが、『自決した』ということです。

ンドゥールが自らの命を絶った理由はディオに見捨てられることに対する壮絶な『恐怖』でした。誰かに見捨てられることは、非常に怖いことであることは確かです。私だって怖いです。この世界で、誰とのかかわりも持たずに孤立している状態に耐えられるような人間はそうそういません。

だからといって同じような論法をンドゥールに適用することはできません。

ンドゥールは、子供の頃からスタンド能力のおかげで死ぬことがまったく怖くなかったと言っています。普通ではありえないことですが、スタンドという他人と違う圧倒的な能力を持っていたことがその原因であることは明らかです。これは、ほぼ花京院と似た状況です。花京院は周りの人間が誰一人として、自分のハイエロファントを見ることができないため、自分と分かり合える人間などいないと考えていました。これはある意味強烈な孤独感とも言えますが、本人たちは何の孤独も感じていなかったわけです。

そしてディオは、このンドゥールに恐怖と孤独を認識させた最初の人物であり、おそらく最後の人物であるわけです。

恐怖を感じたことのない人間が、始めて恐怖を感じる瞬間はどんな感覚なのか、ということは到底想像できるものではありません。しかしながら、ディオによって恐怖と孤独を認識させられた瞬間は、ンドゥールは初めて『人間らしい感覚』を手に入れた瞬間でもあったのではないでしょうか。

こんなことを考えているとンドゥールが言った次のセリフが、非常に重いものに思われます。そのセリフとは

「悪にはあくの救世主が必要なんだよフフフフ」(コミック第二十巻P138ページ)

ディオはンドゥールにとっては確かに救世主であったわけです。ディオのために承太郎たちと戦うことで、生まれて初めて『生きる喜び』を感じることができたのではないでしょうか。このことは確かに悲劇的です。悪行によって初めて『生きる喜び』を感じることができたわけですから。

しかしながら、ディオに出会うことができず、一生を孤独の中で過ごしていくことを考えれば、悲劇的であったにしても悲劇と言い切ることはできません。そこには確かに『生きる喜び』を感じることができた男がいるわけですから。

このように、ンドゥールとの戦いを見ると、ジョジョの奇妙な冒険全体に影響を与える『ディオ』という人物の不思議な立場が見え隠れします。確かにディオは悪いやつです、放っておいたら何をしでかすかわかりません。ですが、そういう視点だけでディオを語ることはできないということです。

勝負を決める一瞬のスピード感と静けさ、そしてンドゥールという人物の人生の切なさ、さらにはディオという人物の存在。様々な要素が入り混じるンドゥール戦は私にとって、やはりお気に入りの話なのです。

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